モラハラ夫との生活⑥〜覚悟〜

モラハラ

前回のブログの続きです。

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師匠のカウンセリングを受け、出されたミッション。

私は言われた通り、そのまま大阪から神戸の実家へ帰りました。

実家へ帰る電車の中、師匠に言われたいろんな話を思い返していました。

そして、強烈に頭に響く「いますぐ離れたほうがいい」という言葉。

私は、ずっと本当は誰かに押してもらいたかった背中を、やっと押してもらえた。そんな気持ちになっていました。

「離れていいんだ」

やっと自分の中に、自分を大切にすることを優先させる許可が出せたのです。

そしてそれは、私のためでもあり、子供たちのためでもある。

「もう、離れよう」

実家へ着く頃には、早くも決心が固まっていました。

離婚するかどうかはまだ決められない。でも、一緒に生活するのはもうやめよう。

別居しよう。

ずっとつっかかっていたものが、スッと取れたような、目の前がパッと明るくなったような、そんな気分でした。

結婚してから一度も帰っていなかった実家。

実家とは普通に仲良しで何の問題もなかったのですが、なぜかずっと帰れなかったのです。

久しぶりの実家には、母だけがいました。

母は私を見るなり、「〇〇さん(元夫の名前)のことでしょ?」

と、すぐに察してくれました。

度々子供の面倒を見てくれていた母は、何度か私が元夫に罵られているところを見ていました。

元夫に責められ怒られて泣いている時、「お義母さんの前で泣いたらまるで俺が悪者やんけ!お前はホンマに卑怯な人間やな!最低な人間やな!」と言われたこともありました。

母は夫婦の問題だから、とずっと言いたいことを堪えて、ただ私を励まし見守ってくれていましたが、私が実家に帰ったということは、もうそれしかない、と思ったようです。

母は、昔から私が決めたことに反対したことは一度もありませんでした。

「あなたが決めた事なら、それが一番良いに決まってるから。」

いつもそう言ってくれていました。

だから今回私が「別居しようと思ってる。」と言った時も、

優しい目で「あなたがそう決めたんだったら、お母さんは応援するからね。」

そう言ってくれました。

父は当時入院中で直接話は出来ませんでしたが、母が話をしてくれて、最初は驚いて反対していましたが、私の覚悟を受け入れてくれて、最終的には納得してくれました。

「お前には子供がいるんだから、その子供たちのことを第一に考えなさい。それを分かって決めたことなら、お父さんは応援する。」

そんな風に言ってくれました。

それから、別居するための準備を始めました。

まず、弁護士の無料相談へ行き、別居や離婚について詳しく相談しました。

別居の場合は夫からお金がもらえるのか、うちの場合はいくらもらえるのか、書面は必要か、弁護士を挟んで取り決めたほうがいいのか、もし離婚になった場合、弁護士にどこまでお願いできるのか、費用はいくらか、相手が渋った場合法的に取れる措置はあるのか、など、30分の無料相談で山ほど質問をしました。

弁護士さんはとても親切で丁寧に優しく教えて下さいました。

ネットで「モラハラ 離婚 弁護士」で調べて初めて行ったのですが、やはりプロの方は慣れていて、必要なことを簡潔に教えて下さり、押し売りみたいなことも一切なく、本当に相談に答えて頂いただけで、名刺だけ渡されて帰りました。

そこで弁護士の先生からアドバイス頂いたのは、

「今後モラハラによる別居、もしくは離婚を考えているなら、毎日朝から寝るまで、会話を全て録音しておいて下さい。もしお友達や身内にメールやLINEでモラハラの相談をしたときは、それも全て保存して下さい。できれば日記も毎日書いて下さい。それから、公的機関の相談窓口にも記録を残すため、もし相談したいのであれば利用することも裁判では有利になります。無理に行って話す必要はないですが。それらは全て、裁判になった時に証拠になります。」

と言われました。

やはりモラハラは暴力のDVと違って証拠が残りにくいところが立証の難しいところで、証拠があるかないかで裁判において勝敗の分かれ道になるそうです。しかも、その証拠は多ければ多いほうが有利だ、と。

それから私は毎日家での会話を録音する生活が始まりました。

元夫にバレないように録音するのはハラハラでしたが、なんとかバレずに録音できました。

日記は毎日はなかなか書けなかったけど、なるべく記録に残すようにしていました。

今、日記を読み返してみると、裁判に役立ちそうな内容というよりは日々思ったことを書いていた感じですが、これはこれで自分と向き合う時間になっていたのかな、と思います。

『今日も長男が怒りながら帰ってきた。きっと帰りの車の中で父親に何か言われたんだろう。最近長男はずっと怒ってばかりいる。私がもっとおおらかで明るい母親だったらよかったのに。そしたら家族がもっと幸せになれたかもしれない。いつも笑顔で笑ってる母親になりたい。』

そんなことが書いてありました。

それから、女性のためのDV相談センターにも行きました。

以前保育園の先生からもらっていたパンフレットに載っていた相談所で、1年越しに勇気を出して電話することができました。

相談員の方はご年配の優しい女性で、私の話をとても親身に聞いてくれました。

私の話を全て肯定的に聞いてくれて、励ましてくれて、特に子供の心についての相談も専門的な知識を交えながら相談に乗って頂き、とても安心させてもらいました。

別居をしてからの公的な補助制度についてのアドバイスも色々と教えてくれて、2回ほど面談をしていただいたのですが、相談が終わった後もマメにお電話をくださって、困っていることはないか様子を聞いてくれました。

ずっと一人で抱え込んでいた私は、顔を上げるとこんなにも救いの手が差し伸べられていたんだと、この頃やっと気づくことができました。

2ヶ月ほどかけて準備をし、引越し先の家もおおよその検討を立て、いよいよ元夫に話をする覚悟が決まりました。

もしかしたら逆上して刺されるかもしれない。

話をするのはそれくらい恐怖でした。

毎月、「村治家会議」と言って、夫婦で家計の事やその月の反省会(というか私へのダメ出し)をする日が決まっていました。

今思えば家族っていうか会社みたいですよね(笑)

その会議の日に、思い切って話をしました。

元夫は、怒り出すかと思いきや、意外とすんなり受け入れてくれたのです。

というか、私の覚悟に怯んだという感じでした。

「もう決めてることなんやろ。きっと俺が何を言っても無駄なんやろ。」

そう言って、3ヶ月後に出ていくことが決まりました。

夫を出て行かせるのは説得出来る気がしなかったので、私が子供を連れて出ていくことにしました。

〜続く〜

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