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〜シンママネイリストが頑張る女性の心をケア〜
心理カウンセラーの村治麻衣です♪
今日は、私の中にずーっとあったモヤモヤについて、真剣に向き合ってみたらものすごい癒しが起こった!というお話をしていこうと思います。
もしみなさんの中に何かモヤモヤとか怒りとかがあれば、それと向き合う時の参考になればいいなーと思って書きました。かなり長いですが、よろしければ最後までお読みいただけると嬉しいです♡
学校が嫌い
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私は昔から、なぜか学校というものが大嫌いだった。
はっきり嫌いだと自覚した中学生くらいの時は、いわゆる反抗期みたいなものだと思ってた。
でも、子供が産まれて息子が学校に通うようになってからも、やっぱりその気持ちは消えてなかった。
何かモヤモヤする。腹が立つ。
私が学校に感じる怒りというのは、
「学校という存在には、誰も抗えない。学校が言うことは絶対で、それに逆らったら叱られる。子供の気持ちは関係なく、学校が良しとしたルールや方針に否応にも従わなければいけない。」
そんな雰囲気が大嫌いだった。
ただ、先生も嫌いなのかと言うとそんなことはなく、今はむしろ学校の先生は尊敬しまくっている。
朝早くから学校に行って、1日中子供達の相手をして、夜まで業務をこなし、また次の日出勤する。
こんな凄いことができるなんて、きっと、教育や子供に対して特別な想いがないととても出来る仕事ではないと思う。
しかも最近は昭和と違って子供の気持ちを尊重してくれる。無理に学校に行かせようとはしない。
先生は本当に凄い人たちだ。
なのに、
どうして私はこんなにも学校に対して怒りが止まらないのか。
こんなに息子に良くしてくれている学校なのに。
子は親の価値観をコピーする
息子は元々、保育園も行きたがらなかったし、集団生活が苦手なタイプ。
だから小学校も行かないんじゃないか、というのは保育園時代からだいぶ予想していた。
そして小学校になったらやはり、行きたくないと言い出した。
ただ、
「学校に行きたくない」
という思いのうち、もし少しでも私の価値観に影響を受けてしまっているなら、それは排除したいと思った。
私の学校嫌いの価値観をコピーしてしまい、そのせいで毎日が苦しくなるなら、それは息子だけの問題ではなく、私にも原因があると思った。
だから、ちゃんと向き合わないと。そう思った。
まさかの祖父出現
で、最近ずっと考えていた。
どうして私はこんなにも学校に怒りを感じるのか。
別に子供の頃いじめられたとか、学生時代に嫌な思い出があるわけでもない。学校に恨みなんてない。
なのに、どうして、、、。
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そんなある日、自転車をこいでたら、ふと亡くなったおじいちゃんの顔が思い浮かんだ。
私が小学校1年生の時に亡くなった、父方のおじいちゃん。
ものすごく怖くて、怒った顔しか見たことがなかった。
その祖父母と我が家は、1年だけ同居をした事があった。
私にとってその1年は、言葉では言い表せないほど暗い記憶しかない暗黒の1年だった。
母はおばあちゃん(母にとっての姑)に虐められ、おじいちゃんにはもっと虐められていた。
その1年間、母が笑ったことは1度もなかった。
母はどんどん痩せ細り、骸骨みたいになっていった。
そして、精神を壊し、病院に運ばれた。
そんな母に祖父母は、ここには書けないような辛辣な言葉を言い放った。
おばあちゃんも怖かったけど、おじいちゃんの怖さ、冷徹さは格別だった。
その家の中で、絶対に誰もおじいちゃんには逆らえなかった。
おじいちゃんが言うことは絶対で、それに逆らうなんてもはや死を意味するくらいにタブーだった。
私は毎日息を殺して生きていた。
絶対に失敗しちゃいけない。
私が失敗したら、お母さんが怒られる。
そうして毎日失敗しないようにビクビクしていた。
でも、そんな私の努力も虚しく結局母は精神を病み、自分の髪の毛をむしって叫んでいた。
あの光景を、今でも覚えている。
全部おじいちゃんとあばあちゃんが悪い。
あの二人が、母をあんな風にしてしまったんだ。
お恨み帳に吐き出しながらその時のことを思い出すと、怒りが止まらなくなった。
誰も逆らえなかったおじいちゃん。
母を苦しめたおばあちゃん。
許せない。
絶対に許せない。
そして、ふと気付いた。
絶対に誰も逆らえない。
誰もが言うことを聞かなければいけない存在。
学校に対して思ってる気持ちと同じだ。
絶対的権威。無条件にひれ伏す存在。嫌だろうが何だろうが、こちらの意思は関係ない。
私は、学校に、おじいちゃんを投影してたのかもしれない。
学校に投影するなんてことがあり得るのか分からないけど、でもあまりにも一致する。
もしそうなら、おじいちゃんへの怒りを癒せば、学校に対する謎の怒りもなくなるかもしれない。
そう思った。
おじいちゃんと向き合う
もう30年以上も前のことなのに、怒りが止まらない。
心理学の世界では、「心に時間という概念は無い。」と言われてるのが改めて分かった。
私はずっと、おじいちゃんに怒ってた。
こんなにも怒りを感じていたなんて気付いていなかったけど、私はずっと怒っていたんだ。
許せない。
でも、許さないと。
私は先に進みたい。
でも。許しってどうやるんだっけ?
私はまだ許しをやった事がない。
講座の勉強で学んだだけで、自分ではやった事がない。
そこで、お弟子で使っていたテキストを見返した。(お弟子で良かったー( ´ ▽ ` )♪ってか覚えとけよーー!)
「許し」の説明の一部に、こうあった。
罪悪感からの自分を解放すること。
あ、、、。
そうか。
そうか。
私、罪悪感でいっぱいだったんだ。
母を救えなかった罪悪感。
あのときの私は、ただ息を殺して生きるしかなかった。
失敗しないようにビクビクする事しか、母を守る方法が分からなかった。
そんな、何も出来ない無力な自分に、私はずっと怒っていたんだ。
そう。
私が一番怒っていたのは、おじいちゃんじゃない。
自分自身だ。
自分に一番、怒っていたんだ。
何も出来なかった自分に怒って、
そして誰よりも許せないのは、
自分だ。
そう気付くと、本当に私の中に罪悪感が溢れ出して来た。
涙が止まらなくなった。
何も出来なくてごめんなさい。
お母さんを助けられなくてごめんなさい。
こんな、無力な私で、ごめんなさい。
お母さん、ごめんなさい。
お母さん、ごめんなさい。
こんな私を、許してください。
私は心の中で何度も母に謝った。
まだ幼稚園くらいだった私は、自分のせいで母があんなふうになってしまったと思っていたんだ。
自分が無力なせいで、祖父母に可愛がられるような子になれなかったせいで。
兄は、長男というだけで祖父母に可愛がられ、そのことで母を助けていた。
でも私には、何もなかった。
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罪悪感を癒す
私は、目を閉じて、自分でイメージワークをしました。
母と向き合って、愛と繋がるワークです。
イメージの中で私は泣きながら母に謝っていました。
「ごめんなさい。ごめんなさい。」
母は、心配そうな、でも優しい微笑みで私に言いました。
「何言ってんの。あんたは何も悪くないのよ。謝らなくていいのよ。」
母は、許してくれました。
もしかしたらきっと、私はもうとっくに、許されていたのかもしれない。
ずっと自分のせいだと思って罪悪感を抱えていたのは自分で、母はとっくに許してくれていた。
私は、何も悪くなかった。
私のせいじゃなかった。
私は母に近づき、抱きしめました。
母は優しく、子供の私の頭を撫でてくれました。(イメージでは私は子供でした)
「お母さん、大好き。」
母は嬉しそうに微笑み
「ありがとう。嬉しい。」
そう言ってくれました。
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まだ幼稚園だったのに、私はよく頑張った。
母を守ろうと、一生懸命頑張った。
まだいっぱい甘えたかったし、一緒に遊んで笑いたかった。
毎晩一緒に寝たかったけど、ずっと働かされてた母に、そんなワガママは言えず我慢した。
隣のパチンコ屋の音がうるさくて寝れなくても、我慢した。
家の周りにネズミが走り回ってて、死骸もあった。浮浪者もいた。あんなところ嫌だった。怖かった。でも、我慢した。
私にできることは、精一杯やったんだ。
あの頃の、幼かった自分を、いっぱい褒めてあげよう。
いっぱい頑張った自分を、認めてあげよう。
あんなに一生懸命頑張った。
もう、
許してあげよう。
だって、あんなに頑張ったのは、私がそれだけ母を愛してたから。
ずっと罪悪感を抱えて自分を許せなくて怒ってたのは、それだけ母を助けたくて愛してたから。
私の中に、大きな大きな、愛がある。
こんなにも罪悪感を抱くほどの、愛がある。
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学校への思い
自分の中にある大きな愛に気付いたら、
学校も、おじいちゃんも、何だかどうでもよくなってしまった。
それよりも、これから自分はどう生きるのか。
大人になった自分は、もう昔みたいに無力じゃない。
何だって自分で選んでやっていける。
嫌なことは嫌って言って良い。
やりたくないことは断っていい。
今は、何だってやっていける気がしてる。
自分の中にあった罪悪感に気付き、本当の愛に気付いたら、
問題は自然と、消えていた。
怒りやモヤモヤは癒しへのメッセージ
もしあなたが、何かに対してモヤモヤしたり怒りを感じたら、それは癒しへのメッセージ。
何か心に引っかかってる罪悪感や無価値観、そんな抑圧された感情が癒されるのを待っているのかもしれません。
自分で向き合うのが難しかったら、カウンセラーを頼ってください。
きっとあなたも、大きな愛に気付けるはずです。
一人でも多くの人が、自分の中にある大きな愛と繋がれますように。
とっても長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。
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心理カウンセラー 村治麻衣
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